■米国のパソコンの歴史
パソコンの発祥は米国での卓上型のコンピューターでした。今となってはあって当たり前(仕事&生活に欠かせない)のパソコンですが、その米国での歴史を見てみましょう。
●1960年代 パソコンの発祥は米国(IBMとHP)
パーソナルコンピューター (Personal Computer) 登場以前に"パーソナルコンピューター"という言葉が使われた一例として、1962年11月3日のニューヨーク・タイムズ紙のJohn Mauchlyの記事があります。
この記事では、将来のコンピューターに関する見通しとして普通の子供達がコンピューターを使いこなすであろうことが述べられてていました。まさに現代のiPadのCMのようなものです。
しかし現実には、個人で使える情報処理装置としては1970年代にIBM (model 5100) やヒューレット・パッカード(model 9830、9835など)から卓上型のコンピューターが発売されていましたが高価であり、個人はもちろん大企業でも限られた部門で購入できたに過ぎませんでした。
●1970年代 MITSとApple
1970年代中ごろに普及し始めた8ビットマイクロプロセッサーを用いて、ごく限定された機能・性能ながら個人の計算やデータ処理を行うことができ、価格的にも手が届くコンピューターが作られるようになりました。
エンジニアや好事家などの中にその趣味の一環としてこの大幅に小型化され安価となったマイクロプロセッサーを応用して独自にマイクロコンピューターを設計・製作する人たちが現れました.
このような個人向けの市場を開拓したという点で重要な位置付けとなるのが1975年1月にPopular Electronics誌で紹介された MITSのAltair 8800や、その後互換機として発売された IMSAIのIMSAI (8080) です。
Altairは1974年に発表されたばかりの8080マイクロプロセッサーを採用していましたが本質的には小型化されたミニコンピューターであり、箱型の筐体にCPUや記憶装置を収容し端末を接続する形態でした。
起動にも複雑な操作を必要とし本体単体のみではごく限定された機能・性能しか持ち得ないものでしたが、拡張ボード(通称 S-100 バス。後にIEEE-696として標準化された)によ柔軟に入出力装置や記憶装置の増設を可能としていたなどその後のパーソナルコンピューターの発展の起爆剤となりました。
●アップルのルーツ
アップルコンピュータを興したスティーブ・ジョブズが1976年に、ガレージで製造したワンボードマイコンのApple I(スティーブ・ウォズニアックによる設計)を販売。
ごく少数販売するに留まりましたが、翌年発売したApple IIは大成功を収め、同社の基礎を作るとともにパーソナルコンピューターの普及を促しました。
1977年に発売されたApple IIは、整数型BASICインタプリターをROMで搭載し、キーボードを一体化、カラービデオディスプレイ出力機能を内蔵したもので、今日のパーソナルコンピューターの基本的な構成を満たしています。
Apple II はオープンアーキテクチャーであったため多くの互換機をも生み出すこととなり、同時にシェアも奪われることにつながりました。
後に互換機メーカーへの警告や提訴を行ないましたが、互換機メーカーが無くなることはありませんでした。
●1980年代 IBMとApple
1980年前後になるとアップル、タンディ・ラジオシャック、コモドールといったいわゆる御三家以外にもアタリやシンクレア・リサーチ(イギリス)など多くのメーカーが参入し、相互に互換性を持たない独自仕様で競合した。
これらはいずれも1981年に参入したIBMのパーソナルコンピューターIBM Personal Computer model 5150(通称IBM PC。あるいは単にPC、後の互換機と区別してOriginal PCとも)の登場と共に16ビットCPU時代の幕開けを迎え、徐々に終焉を迎えることとなった。
IBM PCは同時代の水準としても既に特別に高性能なコンピューターではなかったが、ハードウェア仕様のオープン化やマイクロソフトとの協調、加えて何よりも大きい同社のブランド力でビジネス市場で大成功を収めた。
オープンアーキテクチャーにより IBM PC以外のコンピューター本体や周辺機器などを供給していたメーカーやベンダーもIBM PC互換機を発売し、IBM PC互換機市場は急速に拡大して行った。
IBMはハードディスク装置を内蔵したPC/XTに続いてCPUを高速版の80286にしたPC/ATを発売、他社も互換製品を発売して他の仕様のパーソナルコンピューターを圧倒し、PC/AT互換機(現在、単にPCと言えばこのPC/AT互換機を指すことが多い)が業界標準になった。
一方、アップルが1980年5月に満を持して投入したApple III (Apple3) はApple IIとの互換性が完全ではなかった上に品質上の問題も抱え、市場で受け入れられることなく失敗する。
Apple III に見切りをつけたアップルは、GUI (GUI) とマルチタスクを備えたLisaを 1983年に発売し注目を集めるが、これも高価すぎて営業的には失敗に終わる。
その後、より安価なMacintoshを1984年に発売するとようやく一定の成功を収めた。しかしApple IIで互換機メーカーにシェアを奪われる苦汁をなめたことからクローズドアーキテクチャーにしたため、互換機市場は育たなかった。
この反省からMacintosh互換機事業を開始したが、この時点で既にPC/AT互換機が業界標準となりつつあったため、シェアは伸びず、逆に互換機メーカーと市場を食い合う結果となった。
最終的にアップルは互換機ビジネスを中止してクローズドアーキテクチャに回帰し、シェア争いを放棄した。
1980年代から高機能端末としてワークステーションが発達してきていたが、1990年代、パーソナルコンピュータのネットワーク機能が充実し、フル機能のUNIXが動作するようになってワークステーションとパーソナルコンピュータとの境界は曖昧になった。2000年代、MacintoshのOSはUNIXベースのMac OS Xへと移行し、またPC/AT互換機のOSもUNIX同等の機能を持ったWindows NT系へと移行した。
●1990年代 パソコンの大衆化(Windows化)
1990年代末には、パーソナルコンピューター市場は多数のメーカーによるPC/AT互換機とWindowsの組み合わせ (Wintel) が支配するようになったが、コモディティ化が進みメーカーによる差別化が困難となったPC市場は過当競争により再編が相次いでいる。
PCのオリジナルであるIBM PCを開発・販売したIBMは、2004年12月にパーソナルコンピューター事業の業績不振から、パーソナルコンピューター事業を中国のレノボ・グループ(聯想集団)に売却すると発表した。
ハードウエアのオープンアーキテクチャー化を大きな要因として繁栄したPCであったが、最終的にはその互換機によって市場から撤退することとなった。
一方、ハードウェア・OS・小売事業を全てアップル一社で提供する垂直統合モデルを採用したMacintoshは個人ユーザー向けビジネスとして成功を収めており、再びシェアを拡大する傾向にある。
Update 2016/06/01 Create 2010/10/10
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