■日本のパソコンの歴史(80年代)

80年代はまだ、ビジネスシーンで使われる事は無く、一部の個人ユーザー(愛好家)に浸透するに留まる。

●1980年代(8ビットパソコン)
 98(NEC)シリーズ、FM(富士通)シリーズの始まり

1980年代初頭にはより高機能な8ビット機が発売された。NECはPC-8800シリーズ(1981年)、富士通がFM-8(1981年)、そのFM-8から周辺機能を削り、音源を搭載したFM-7(1982年)、シャープからはMZシリーズを開発した部署とは別のシャープテレビ事業部が開発したX1シリーズ(型番はCZ、1982年)が登場し市場を寡占化した。この頃には8ビット御三家とはこの3機種を指すようになった。

 また、後発のソニーは初めて3.5インチのフロッピーディスクを内蔵した機種を発売して話題を集めた。なお、3.5インチマイクロフロッピーディスクの規格とは別に松下電器・日立が3インチのコンパクトフロッピーディスクという規格を策定したが普及するには至らず、最終的にはソニーの推す3.5インチが主流となった。

この頃に他のメーカーから発売されたマイコンは以下の通り。
日立はベーシックマスターレベル3(1980年) 初の6809+同MPU用MicrosoftBASIC搭載東芝のパソピア(1981年)カシオ計算機からはFP-1100シリーズ(1982年) 10進演算など、数値演算に力を入れた機種ソニー初のマイコンで、ビデオ機器との連動機能を持たせたSMC-70の発表(1982年11月)ソニーから初めて3.5インチのフロッピーディスクを内蔵したSMC-777が登場(1983年)三菱からはMULTI-8(1983年)多色化の先駆けとなった東芝のパソピア7(1983年)

 これらのマイコンは1980年代前半から10万円を大きく切る低価格の機種と10万円を超える機種へと二極化が進んだ。低価格機種の代表としては、ZX-81(シンクレア81)(1981年)ソード計算機(現 東芝パソコンシステム)のM5(1982年)トミー(現 タカラトミー)のぴゅう太(パソコン史上に残る稀有な日本語BASICを搭載していた)(1982年)松下電器産業(現 パナソニック)からはJR-100(1981年)・JR-200(1982年)・JR-300(1983年)バンダイのRX-78 GUNDAM(1983年7月)などがあった。

ポケットコンピュータが各社から一斉に発売されたのもこのころであり、そのさきがけであるカシオ計算機のPB-100は1万円台で購入でき一世を風靡した。

ハンドヘルドPCと称した(後のWindowsCE Handheld PCとは異なりA4判程度)携帯PCが一部メーカーから出たのもこの頃だった。
HC-20/40(エプソン、1982年)
PC-8201(NEC/京セラ、1983年)
TRS-80 model 100(タンディ/京セラ、1983年)
JR-800(松下電器産業、1984年)

この時代、特に日本国内のパソコン市場においては、日本語表示や日本語入力などの諸問題により8ビットパソコンを本格的なビジネス用途に使うには限界があった。しかし、その実用性はともかく趣味でマイコンを購入する人が増え、また来るべきコンピュータ時代に向け、学校教育にもマイコンが導入された他、これを買い与えられる児童も在った。この時代において、主に趣味のプログラミングやコンピュータゲームに供されたマイコンをホビーパソコンとも呼ぶ。

ホビー用途とは言っても、その価格は実用性の割に飛び抜けて「高価な玩具」でもあり、小中学生の子どもたちはマイコンに興味があっても親から買って貰える子は少なかった。自ら「ナイコン族」と呼び、当時無料でデモ機を設置し使用させてくれた電器店に日曜日には朝早くから並んでマイコンを借りて遊んでいる子どもたちも多かった。多くは『マイコンBASICマガジン』などのプログラム投稿誌のプログラムを入力してゲームを楽しんでいた。それらのゲームをカセットテープに保存し、データを交換しあいながら保持ゲーム数を競っていた。電器店としては、子どもたちが簡単に使っている姿を見せることで大人たちの購買意欲をそそらせ、お互いに持ちつ持たれつの関係が成り立っていた。

このような社会背景に誘われその他の家電・コンピュータ・電卓・時計等の様々な製品を扱うメーカーもマイコン事業に進出したが、後発メーカーは既存のソフトウェア資産という基盤が無かった事から非常に苦戦を強いられる事となった。その中で、各社仕様を共通化する事でシステム設計コストの低減とソフトウェア資産の共通化を目指したマイクロソフトとアスキーによるホームコンピュータ MSXの規格(1983年)が発表され、これらの苦戦した各社がこぞって参加した。

また忘れてはならないのは、ホビーパソコンが人気を博した背景には各地に大小のゲームセンターができてギャラクシアンやドンキーコング、パックマンなどのゲームが人気となり、それらのゲームがマイコンに移植されたことの影響も大きいと考えられる。

同時代の国産マイコンに採用されていたCPUは、ごく初期においてモステクノロジーの6502やインテルの8080などの採用例が見られるものの、以後は8080の上位互換となるZ80に代表されるザイログ (Z-80A, Z-80B)、68系のモトローラ (6800, 6801, 6802, 6809, 6809E) 及びそれらの互換・カスタムCPUが主流であった。ただし、このZ80自体とは8080を独自に拡張した8080の(上位)互換プロセッサである。これは、マイコンブームが日本において成立した時点でインテルの8080系は市場においてその主流を上位互換性を確保するZ80に奪われており、採用例が稀であったことに起因する。現在主流となっているインテルのCPUは国内においては16ビット時代になってパソコンに本格的に採用されることとなる。

 

 

●1980年代後半 8ビットパソコンの終焉

1982年に後述のPC-9800シリーズが登場する一方で、MSXが出た同じ年の1983年、任天堂からファミリーコンピュータが登場。機能の絞込みによる低価格を武器にアーケードゲームの各メーカーが参入してタイトルが豊富に出揃い、爆発的に普及した。コピーに悩まされていたゲームメーカーは、次第に、コピーが難しいファミリーコンピュータ用に開発するようになった。

1984年頃からは独自規格の8ビットパソコンはNEC・シャープ・富士通の3強が主となり、ホビーユースに的を絞ったPC-8801mkIISR(1985年)・X1turbo(1984年)・FM77AV(1985年)の8ビット御三家各モデルの次世代の時代に突入した。これらはグラフィックを高速・多色化し、音についてはPCM音源・FM音源化、外部記憶装置はフロッピーディスクドライブ内蔵が標準的となり、BASICもDISK-BASICとなった。ROM-BASICは互換性のために残されていた。

もっとも8ビットCPUの非力なパワーや狭いメモリ空間でこれらの機能を活用することは難しく、開発コストや人員の問題もあって市販のゲームソフトなどでは3機種の全てでの発売と引き換えに画像などのデータの使いまわしが行われ、多色機能等はあまり活用されなかった。

初代ベーシックマスターで先鞭を付けた日立はこのころ、高速なグラフィック機能や、独自のメモリコントローラにより8ビット機ながら1Mバイトのメモリ空間を持つ、MB-S1(1984年)を出したりMSX/MSX2に参入するなどしたものの、結局ホビーユースからは脱落している。また、シャープのMZシリーズはMZ-2500(1985年)を最後に16ビットパソコンのビジネス路線に移行した。

1987年、シャープとNECは16ビットのホビーパソコンを発売し、またNECはPCエンジンを出した。1989年に富士通も32ビットのホビーパソコンを、NECがPC-98DOを出して、8ビット御三家の時代は終焉を迎えた。

この隙をついてMSX2(1985年)が低価格路線に踏み切り、参加企業は減少したものの8ビット御三家とファミリーコンピュータの中間的な存在として一部で人気を得た。低価格でフロッピーディスクドライブ内蔵のモデルも発売されたが、MSX2+(1988年)になるとソニー、松下電器産業(現 パナソニック)、三洋電機以外は完全に撤退した。それもつかの間、1990年のMSX最終形態のturboRが16ビット機という触れ込みで登場するもののそのまま終焉することになる。(同時期に任天堂も16ビットのスーパーファミコンに移行した。)

●16ビットパソコン・黎明期とMS-DOSへの移行

1981年、日本製初の16ビットパソコンMULTI16(OSはCP/M-86)が三菱電機より発表されるが、コンシューマー向けに意図されたものではなく、一般にはほとんど普及することはなかった(製品としての寿命は長かった)。

この頃、略語好きなある日本人が、パーソナル・コンピュータを「パソコン」と名付けた。 「オフコン」、「ファミコン」は、最近あまり見聞きしなくなったが、「パソコン」はその後、ポピュラーな代名詞になり、今日も使用され続けている。

1982年には16ビットCPUを採用して長くベストセラーとなったPC-9800シリーズが登場した。PC-9800シリーズはBASIC言語レベルにて従来の8ビット機と互換を持たせる方法を採った。その他の(主にビジネス向けの)国産機も16ビット化が始まっていた。既存の8ビット機でも16ビットCPU搭載の拡張カードを発売した機種もあった。

ここで、IBM PCが採用したPC DOSのOEM版であるMS-DOSと、8ビット時代からのOSであるCP/M-86のどちらを採用するかといった問題が起こった。後者を選択したメーカーも三菱電機、富士通など複数社が存在したが、1983年にIBM PC/XTでPC DOS 2.0が採用されその日本語OEM版であるMS-DOS 2.1日本語版が登場するとほどなく市場を制した。その後はMS-DOSを採用したPC-9800シリーズの独走態勢となった。

8ビットパソコンと違って黎明期の16ビットパソコンはその対象となる市場が法人中心であり、かつ高価だったこともあってPC-9800シリーズも含めて家庭用としてはまだ普及せず、雑誌でのBASICなどの投稿プログラムも少なく、市販されたソフトウェアもゲームよりもビジネス向けソフトやユーティリティーが中心であった。また、システム販売用途としてカスタマイズされたソフトウェアが組み込まれてシステムとして発売されるケースがほとんどであった。

各社の主な16ビットパソコン(企業用および家庭用。後に32ビット化したシリーズを含む)は以下の通り。
PC-9800シリーズ (NEC)
EPSON PCシリーズ(エプソンのPC-9801互換機)
マルチステーション5550、IBM JX(日本IBMの日本独自仕様)
AX(AX協議会各社)
FM-11(EX,BS)、FM-16β、FMRシリーズ(富士通)
J-3100、ダイナブック(東芝)
PC-100(NEC/京セラ)
ベーシックマスター16000、B-16/32(日立)
MZ-5500/6500(シャープ)
if800 model50/60(沖電気工業)
MULTI16(三菱電機)
パソピア16(東芝)
PANAFACOM C-15/E/C-180/280/EX/380(現PFU) FACOM 9450/II/Σ/Λ(富士通)
C-18、Operate6000/7000/8000(現パナソニック)
ぴゅう太(トミー)

●16/32ビットパソコンの転換

16/32ビットパソコンは出現当初はビジネス用として位置付けられている機種がほとんどであった。ワードプロセッサ(ワープロ)・表計算・CADと大型機の端末が主な用途で、解像度は高かったが多色表示やサウンド機能が充実した機種はあまりなかった。

時代が進みPC-9800シリーズが普及するとホビー用としても用いられるようになり、多数のゲームソフトが登場するようになった。またソフトウェアへの要求度合が上がるにつれ、ホビー用途でも8ビット機のパワーでは物足りなくなった。

PC-9800シリーズでも途中からGRCG/EGCの搭載や16色対応・FM音源などの強化がされたが、よりホビー色を強めた16ビットパソコンとして1987年にシャープからX68000、またNECからPC-88VA、1989年には富士通から32ビットパソコンFM TOWNSが発売された。

これらの機種は既存のパーソナルコンピュータと比較するとホビー用のハードウェアが強化されていた。当時はソフトウェア上で処理するよりもハードウェアで処理することにより高速化が計られる時代であった。X68000シリーズのスプライト機能の搭載が良い例である。同様のアプローチは海外でもなされており、画像関係に強いAmiga(1986年)、音楽系に強いATARI-520STが製造されていた。

 

Update 2016/06/01  Create 2010/10/10

 

 

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