■日本のパソコンの歴史(70年代)

今となってはあって当たり前(仕事&生活に欠かせない)のパソコンですが、その歴史とはどんなものでしょうか?改めて見てみるとものすごい事(技術の進化と価格の下落)になっているのが面白いです。

●日本のパソコンのはじまり

日本におけるパーソナルコンピュータ(パソコン)はその黎明期においては主に米国からの輸入品とその互換機によって占められていた。

次第に独自アーキテクチャの製品を製造・販売するようになり、発展途上の処理能力に乏しい時期には日本語処置に独自の漢字表示機構を必要とするなどした事情から一時代を築いた。

しかし、処理能力の向上により漢字表示もソフトウェアにて実現することが可能となったため、1980年代以降WindowsおよびPC/AT互換機(いわゆるDOS/V機)の組み合わせが普及するに至った。

HITAC10

パーソナルコンピューター登場以前に日本で"パーソナルコンピューター"という言葉が使われた例として、日立製作所が開発した日本初のミニコンピュータHITAC 10(1969年2月完成)のカタログに"パーソナルコンピューター"の言葉が使われている

 

 

 

●1970年代 ワンボードマイコン・キットの時代

黎明期の初端においては米国と同様にエンジニアや好事家が独自に部品を調達してワンボードマイコン等を設計・制作し、あるいはもっぱら輸入された評価キットやワンボードマイコンなどが秋葉原の電子デバイス店などの小売店で細々と売られる程度であったが、米国でAltair 8800とその互換機が登場するとこれらの輸入品を主力に取り扱う店舗も登場するようになり「個人向けマイクロコンピュータの歴史」が始まる。

国内では1976年5月に東芝よりTLCS-12A EX-0[3](定価99,000円)が発売された[4]。電源装置を別途用意すれば、12ビットのLED表示とディップスイッチを使ってテレタイプ端末などの入出力機器を必要とせずに動作させることができる国産初のワンボードマイコンである。

 後の「国産マイコン」に連なる最初の製品は1976年8月3日に日本電気 (NEC) より発売されたTK-80(定価88,500円)とされる。本機はTK (Training Kit) という名前からも分かるように、元来は8080互換マイクロプロセッサの評価・教育用ツールであった。本家インテルの評価キットSDK-80はテレタイプ端末を想定したデバッグモニタが付いており、より高機能であったが高価かつ一般には流通しないものであった。

 これに対しTK-80はボードに16進キーボードとLED表示器がついただけのものだったが、同年9月に秋葉原に開設したBit-Innでサポートが行われ、同月にNECマイコンクラブを結成するなど積極的なユーザー支援体制もあって、企画当初の予想を超えたベストセラーになった。

 1977年には整数型BASICインタプリタROM、ビデオ表示回路、JISキーボードなどからなるTK-80BS (Basic Station) 発売(定価128,000円)。同時に、廉価版としてのTK-80Eも発売された(定価67,000円)。後に実数型BASICも供給され、「マイコン」として使われるようになった。

NEC_TK-80BS

 同時期の他社のトレーニングキットとしては東芝のEX-80 (8080)、Panafacom(現PFU)のLKIT-16(同社のL-16A/MN1610)、日立製作所(日立)のH68/TR(6800)(アセンブラと電卓型のフルキーボードを標準装備していた)などがあった。海外ではKIM (6502) やAIM-65(同)などがあった。これらは全ての部品が、剥きだしの裸の基板のまま販売されていたので、ワンボードマイコンと呼ばれた。

NECはCOMPO/BSを1979年春に発売したが、これはTK-80EとTK-80BSを筐体に一体化したものであった。

●1970年代後半 8ビットパソコン・BASICと群雄割拠の時代

SEIKO-57001977年、精工舎(現 セイコー)からSEIKO-5700という業務用コンピューターが発売された。同年、ベンチャー企業であるソード計算機(現 東芝パソコンシステム)がM200シリーズを発売。M200はコンピューター本体と必要な周辺機器を一体化したオールインワン・コンピューターであり、5.25インチフロッピーディスクドライブを搭載[5]していた。価格は150万円で当時のコンピューターとしては高機能の割に低価格であった。

その後、パーソナル用途向けの安価なコンピューター(いわゆるパソコン)が発売される。 シャープよりMZ-80K(1978年)、日立よりベーシックマスターMB-6880(1978年)、NECよりPC-8001(1979年)が発売された。当初はこの3機種が8ビットパソコン初期の御三家と言われたが、ベーシックマスターレベル1・2は途中より遅れ気味となり(ただし完全に消えた訳ではなく一定のシェアはあった)1980年前後はPC-8001とMZ-80K/Cが人気を二分したと言っても過言ではない。

当時の国産マイコンとして主流であったのは、電源を入れればROMに書き込まれたBASICが起動する(立ち上がる)ROM-BASICマシンであった。これらはコンピュータを起動するとBASICインタプリタが起動され、コマンドプロンプトから直接BASICのコマンドを入力して処理を行うことができた。これらのマイコンの形状は Apple II にも似たキーボード一体型、ディスプレイ別置きであった。一方、シャープのMZシリーズはインタプリタをROMであえて持たずにクリーンコンピュータと称していたほか、ディスプレイも一体化して「オールインワン」として発売された。

8ビットパソコンは、ビジネスユースとゲームという2つの市場の要望に、前者を16ビットパソコンに、後者をコンシューマーゲーム機に奪われるという形でその幕を閉じることとなった。

その一方で、各マシンともBASIC言語を標準装備していたことからプログラミングを趣味として楽しむ人々を増やし、一部のパソコン雑誌の誌面ではBASICで組んだプログラムを発表するなどのコミュニケーションの場が形成され、市場撤退後も使い続ける根強いファンを生むこととなった。

 

Update 2016/06/01  Create 2010/10/10

 

 

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